
おはようございました、@SHARP_JP です。これは自分の数少ない特技と言ってもいいと思うのだけど、私はどこででも眠れる。枕が変わろうが、他人の部屋だろうが、平板な場所でなかったとしても、よほどのことがない限りはまあスヤスヤ眠ることができる。寝付けないという人からすれば、ありがたいことだと思う。
身体の要請があるからこそ、睡眠は生きる上で不可欠なものだが、そうでなくとも眠ることにはメリットがたくさんある。ぐっすり眠れば頭もシャッキリする。なにかを思いついたりする。寝る前に大きな怒りや後悔、ふつふつとした悩みを抱えていたとしても、寝て起きれば少しは冷静になっていたりする。時にはすっきり忘却できることだってある。
もちろん私が寝ている間も、世界は私が不在のまま過ぎゆくから、目が覚めると私を取り巻く状況が好転していたなんてことはない。具体的になんもしないのだから睡眠が解決策になることはないけど、問題を緩和したり、心情的にリセットすることはできるはずだ。だから悩みゆえに眠れないという悩みは悪循環でしかないし、それこそなかなかにハードな悩みだと思う。
私もむかしは眠れない、というか眠らない時があった。友人と夜通し遊んでいる最中は、おもしろいことが起きても立ち会えないのが怖くて眠らなかったし、ひとりの時には、睡眠という無の時間を回避したくて、本を読んだり映画を見たりしていた。若い私は眠るのが損だと決めつけて、眠らない選択をしていたのだ。
いまの私が眠らない選択をするのは、眠ってしまうと明日の締め切りに間に合わないと追い詰められ、必死にすがりつく夜しかない。大切な何かはいつもきまって夜に起きていたあの頃に比べると、すこし寂しい気持ちになる。かつて夜より昼が孤独だった私は、いまや昼より夜が孤独に逆転してしまった。だから私は、こんこんと夜に眠るのかもしれない。
すやすや快眠部(Umegau 著)
そういえば私は眠るのが損だと決めつけていた頃、ずいぶんと熱心に音楽へ時間を捧げていた。音楽といっても私が没頭していたのは、歌や楽器とはちがった、いささか特殊なあり方の音楽で、そういう音楽はライブハウスとかクラブといった通常ではない場所で鳴らされた。そしてそこでは、参加する場やパフォーマンスの考え方そのものが、自身の表現に結びつくことが多かった。
ある日私が呼ばれたのは、音楽を聴く側が積極的に寝るというアイデアのもとに主催されたライブだった。そこではみなが寝袋を持ち寄り、思い思いに快眠を追求し、ミュージシャンはいかに観客をぐっすり眠らせるかが主題の演奏を求められた。その時私がどういう演奏をしたのかは忘れてしまったけど、演奏後は他の出演者の音楽が気になって眠ることができなかった。おしゃべりがたのしかったし、寝ている間に未知の音楽が鳴ったらと思うと、寝るのはやっぱり損と考えたのだろう。
だからこのマンガの快眠部の部員は老成しているように見える。私は快眠こそが人生の一大事と思えるまでにかなりの年月を要したけど、いまの私なら喜んで入部するだろう。だが一方で、夜より昼が孤独だったかつての私こそ、昼に眠ることができる快眠部を必要としていたのかもしれない。そうやっていったりきたり考えていたら、ずいぶんと眠くなってきた。いま、深夜2時。