シャープさんの寸評恐れ入りますインフルエンスサレヤスサー

ウェブトゥーン(縦スク漫画)のコミチ
インフルエンスサレヤスサー、 @SHARP_JP です。そういう自分をあまり認めたくないのだが、私はけっこう人から影響されやすい。友だちがどこかでシェアしたお店に昼飯を食いに行くし、さっきSNSで見たレシピを気づけば夜に作っていたりする。だれかが熱くすすめていたマンガをすぐ読むし、詳細なレビューを読んでしまえばそのまま流れるように本を注文する。洋服だって、他人が着ていたものを真似するように着る。音楽もしかり、アニメもしかり、映画もしかり。きっかけは、だれかのおすすめだ。
いいかげん分別がつきそうな歳になるけど、私が摂取するものはほとんど、他人由来だ。食べるものも作るものも楽しむものも、ことごとく他人の影響を受ける。大人になるとはすなわち、自分のことは自分で選ぶようになることだと思っていたが、ぜんぜんちがった。いまだに私はインフルエンスされまくるし、自分で選んだと胸を張って言えるモノは、おどろくほど少ない。大人になってから唯一変わったとすれば、「この人が言うことはまちがいない」と信じられる他人ができたことだろうか。そういう他人を、われわれ大人は「友だち」と言うのだ。
とはいえ、インフルエンスされるのは必ずしも友人知人由来とはかぎらない。感銘を受けた作品の作り手だったり、SNSでの発言に触れる蓄積を通して信用が形成された、こちらが勝手に敬愛を深めた他人という存在も、私たちに多分の影響を与える。おそらくそういう人を一般にインフルエンサーと呼ぶのであり、いまや各人がそれぞれの小さなインフルエンサーを抱えているとも言える。
あるいは容姿や活動を通して、推しとかあこがれといった感情に結びつきやすい、タレントやアーティストと呼ばれる人たちはなおさら、強くだれかに影響を与える。この域までくると、インフルエンスというよりむしろ崇拝と呼びたくなるように、多くの人を巻き込み、時に人の生き方ごと変えてしまうような影響を及ぼすことがある。もはや消費のレベルでは語れないような影響だ。いずれにしろ影響の強さというのは、それぞれの人にとっての「だれが言ったか」が強く作用するのだろう。
オジの素(石櫃ゆう 著)
一方でインフルエンスには、「だれが言ったか」とは異なる、だれからともなく受ける影響というものが、われわれの日常にある。匿名のインフルエンスと呼んでもいいかもしれない。私の場合で言えば、SNSでバズったどこかのだれかのレシピをたまたま目にすると、その日にもれなく実際に作ってしまうようなケースだ。あるいはどこかのだれかが食べたラーメンを見るとラーメンを食べたくなり、どこかのだれかが魚を捌いている動画を見ると、魚が食べたくなる。
どうも私は食べ物に関して、どこのだれともわからない他人の、それでいて真実味のこもった発信に、強く影響を受ける傾向がある。その理由をうまく語れないのがもどかしいのだが、「匿名であればあるほど信憑性が増す種類のおすすめ」というものが、世の中にはある。とりわけ味という、極めて主観的な、かつ論理をあまり問われない感覚においては、知らない人の私的な感想こそに、私たちは自然な説得力を感知するのだと思う。
それはこのマンガの「信玄餅」のように、短冊に書かれた文字から刷り込まれた影響にも通じる気がする。いやそれは単にサブリミナル効果でしょうというのも簡単だけど、どこかのだれかが食べたいと願って書いたという背景が「影響の伝わりやすさ」に作用するのではないか。その点が匿名のインフルエンスと似ている感触がある。あくまで感触だけど。
信玄餅食べたい。