服に着られてきました、@SHARP_JP です。人生において頭を悩ますことは種々あれど、なにを着るべきか問題は物心がついた頃からずっと、私たちを地味に悩ます存在ではないか。つまりファッションとかおしゃれという分野の煩悩だ。
ファッションとかおしゃれは、わりかし複雑だと思う。思春期ならともかく、それをする目的が必ずしも異性によく思われるため、というわけでもない。異性あるいは同性から目立たないようにするためのファッションもあれば、モテるモテないを放棄して、私はなにが好きかのサインを発光するように服を着る場合だってある。バンドTシャツなんて、そういうものだろう。
それから、あまりに高価だったり、奇抜でデコラティブだったり、生産数が限定されて希少な服や靴をときどき目にして思うのは、ファッションが目指す高みは風変わりな場所だなということだ。他人とまったく被らない装いを目指しても、その装いひとつひとつに「あの時計は高い」「あのスニーカーは超レア」「あのデザイナーで揃えている」という風に、他人がそのアイテムの纏う記号を解読してくれないと、孤高のファッションは成立しない。
だれとも似たくないけど、だれにもわかってほしい。それがおしゃれの行き着く境地なのかもしれない。他者の存在を排除しながら他者の目を求めるのは、字で書くと矛盾極まりないけれど、ファッションに関してはそれがなんとなく成立してしまえるのが、いつも不思議な気持ちになる。
そうでなくとも私たちは、自由な服装でお越しくださいと言われると余計になにを着ていくべきか悩まされる。仕事をする時でさえも、もはや空気としか表現できない職場や相手のドレスコードに縛られ、それを守るにしろ破るにしろ、周囲と自分の装いの距離を逐一気にしてしまう。たぶん地球上に人間がひとりになるか、無人島に漂流するまで、われわれはなにを着るべきか問題から自由になれないのかもしれない。
毎日マンガ 第44話(さてよ 著)
さらに追い討ちをかけるように、ファッションには流行というものがある。今年の流行色とか流行アイテムとかいって、なかばマーケティングめいた圧から洋服を探すのも私たちの季節行事だ(それはそれで楽しいのだが)。
一方で、中長期的なトレンドと呼べるような、いつのまにかなんとなく、というかたちで感じる流行もファッションにはある。ピタッと体にフィットする服から、ぶかぶかゆったりした服に、気づけばクローゼットが占められていた、なんてことがないだろうか。
加齢や生活スタイルの変化を抜きにしても、5年とか10年くらいの周期で、洋服の「なんかダサい」が緩やかに更新されることは多い。そしてそういう緩やかなトレンドの伝播は、このマンガのように「最近は大き目が流行りなのかな」と消極的に、私たちの日常へ届く。現に、私がそうだ。
私の場合、そろそろ私もTシャツをデニムにインできるのではないかという予感として、中長期的なファッショントレンドが私の元へ訪れている。だが同時に、私がインしはじめるころ、インしないがトレンドになるはずだともなかば確信している。ファッションは揺り戻しながら繰り返すことを経験してきた私は、つまりはおじさんおばさんと呼ばれる側なのだろう。だとしたら私はこの夏、インすべきか否か。なにを着るべきか問題はやっぱりここでも付き纏うのである。