人間観察という言い方があまり好きではありません、@SHARP_JP です。趣味というわけではないが、見ず知らずの人の何気ない行動をつい目で追ってしまう。たとえば、自動販売機の前に立つ人が視界に入ると、その人がどの飲み物を買うかを予想して、どれを買うかまで見届けてしまう。まったく知らない人であればあるほどよい。自動販売機の前に立つ人が知人なら、何を買うかという点に関しての興味はとたんに失せる。スーパーや本屋でも同様のことをしがちだ。
たぶん私は、自分の視覚情報の解釈と他人の内面の答えあわせをしたいのだと思う。ただし内面とはいっても、その人となりやプライバシーを暴きたいという欲望はいっさいない。ただ私の中でコツコツと学習してきた、「こういう雰囲気の人はこういう嗜好/思考をするにちがいない」という手前勝手な想像を、正誤判定するのが好きなのだろう。
それを一般に人間観察というのだと指摘されれば、まあそうですよねとうつむくしかないのだが、どちらかというとその時私は、他人より自分を観察している。外見や服装からつい短絡してしまう私の判断を、いつか偏見に固定してしまわないように、常に検証を繰り返したいのだ。自分が見て感じる解釈を、私は観察したい。もとよりその相手が友人や知人なら、すでに人となりを知った結果として私が好きなんだから、そんな検証は必要ない。
にわかなボクとガチなキミ(ほろろん 著)
いずれにしろ、個人情報やプライバシーとは無関係に、他人の外面と内面の一致や相違を知りたい、といえばわかってもらえるだろうか。電車でたまたま隣りあった人のイヤホンで鳴る音楽がどんなのか知りたい。向かいに座る人が熱心に読んでいる文庫のタイトルが知りたい。すれ違った人が手を伸ばしたジャムが何味なのか知りたい。それがだれでどんな人かには一切触れないまま、その人の内面が発露した選択の結果だけを知りたいのだ。それはつまり、私の中にある偏見を知りたいという、内向きの欲望ではないかと思っている。
そういう意味でスマホのカメラロールも、他人の外面と内面の答えあわせにはうってつけなのだろう。もちろん知らない人のカメラロールを覗き込むなんてできないし、してはならないことだけど、そこには個人情報やプライバシーとは別の「人となり」がむき出しにあるにはちがいない。このマンガのように、カメラロールをうめつくす電車の写真などはまさにそれだろう。私は、そうとは見えない他人のスマホのカメラロールにおどろきながら、そうとは見えないと思った自分を反省したい。そうやって自分の偏見を打ち破られたいのだ。