シャープさんの寸評恐れ入ります代わりにやりましょうか?

ウェブトゥーン(縦スク漫画)のコミチ
ゴールデンウィークと呼ばれるものが終わりました、@SHARP_JP です。退職代行なる商売があると知っておどろいた。自分で下しただいじな決断だし、私たちの社会は辞め方のマナー仕草や、言い訳・申立てのテンプレを有しているから、それに添って機械的にセルフでやればいいだろうに、と思ったがすぐに考え直した。だいじな決断を下した後だからこそ、最後に残った「気が重いこと」を代わりにやりましょうか?と提案されたら、つい頼ってさっさと先に進みたくなるのも無理ないな、と思ったのだ。
私たちの生活に、代わってほしいことはたくさんある。めんどくさい、スキルがない、苦手だ、こわい、時間がない、どうしてもできない。気が重い理由にもいろいろあるが、気の重さがピークに達した時、代わりにやりましょうか?という申し出があれば、多少のお金を積んででも頼みたいことは私にもある。疲れ切った時の家事なんて、気の重さに腰の重さが加わるから、なおのこと「代わりにやってもらう」オファーが輝きを増す。たぶん家電はその重さにつけこんで、長らく発展してきたのだと思う。
そもそも「代行」こそが、仕事の本質なのかもしれない。よくよく考えれば私たちの仕事のほとんどは「代わりにやってあげる」ことで成立しているのではないか。われわれは、だれかの「気の重さ」を肩代わりすることで対価をもらう。私だって、みんなができないわけではないがそこまで工夫したり時間やアイデアを投入する暇もないことを代行するのが仕事、だと言えなくもない。なにかを売るために宣伝文句を考えることは、そういう作った人たちの気の重さを代行しているのだ。同じく経理の仕事なら自分の部署のパフォーマンスを集計することを代行しているし、営業の仕事なら作ったモノを売る行為を肩代わりしていると言えるだろう。
ましてや絵を描くとか美しい装いを作るといった高度に専門的なタスクは、それを必要とする人にとって「まったくできない」という途方もない気の重さを生むはずだから、プロへの発注も広義の代行ではないかと思えてくる。そうやって考えていくと、私たちはお互いがお互いの気の重さを代行しあうことで仕事を回しているのだ。肩代わりしあうことが社会を成立させていると思えば、この気の重さも少し軽く感じられないだろうか。
見送り代行(ヒバライ バイト 著)
この漫画家さんは、架空のありえないバイトを次々と考案している。ここでは知らない人の旅立ちを見送る代行業が描かれている。人数あわせのための結婚パーティー出席代行の話を聞いたこともあるし、退職代行の存在を知ってしまった今となっては、ありえない代行業の数々も実際にありそうな気がしてくる。
私たちのあらゆる気の重さをこと細かに挙げていけば、そこに代行業のチャンスがあるのだろう。さしあたり私は退職代行を必要としないけれど、出社代行ならちょくちょく頼みたい。ゴールデンウィーク明けの社会を覆う「気の重さ」を考えれば、出社代行への需要はとてつもないことになるのかもしれない。出社代行業をはじめるのは今ではないか。