目分量が苦手です、@SHARP_JP です。買ったモノが家に入らなかったことはあるだろうか。私はある。喜び勇んで買った家具が、家に入らなかったことがある。正確にいうと、買った家具がマンションのエレベーターに入らなかった。家に入る前の段階で、もう入らなかった。だからほんとうは家に入ったかもしれない。今となってはわからない。
中古の本棚だった。どこかの中学校の図書室で使われていたと、店の人は説明してくれた。聞けばなるほど、学校の図書室にふさわしい巨大さがあり、無骨さがあった。ただし中学校だけあって、ただの書架ではなく、成長途上の子どもの背丈でも本が選びやすいように、傾斜がつけられた棚だった。パブリックに使われていたことを絶対保証するような、傷も汚れもあちこち見受けられた。
そうやってありありと思い出せるほど、私はその本棚のことを一目で気に入ったのだ。家に溢れつつある本の心配もさることながら、学校の図書室の気配や記憶を自分の家に招き入れるというイメージに、私は模様替え以上の気分をおぼえたのだと思う。値段の逡巡はそこそこに、買って配送の手配も済ませた。
その後の顛末は冒頭に書いた通りだ。配送に来てくれた人が何度も四苦八苦しても、本棚はエレベーターにギリ入らなかった。梱包を解けばもしやと思ってトライしても、ギリにギリ入らなかった。泣く泣く諦め、本棚は私の家へ旅立った場所に、また戻っていった。当時の家は古いマンションの部屋をぶち抜いたもので、家の中には図書室の本棚が収まる場所がたしかにあったのだ。しかしエレベーターの古さを勘定しなかったのはうかつだった。言うまでもなく古い外階段はもっと狭かった。クレーンで吊って入れるという方法も教えられたが、それをするお金でその本棚が何個も買えることを知り、さすがに心が折れた。
その家から引っ越したいまでもあの本棚をよく思い出す。「買う」と「手に入れる」はほぼ同義だと思うが、図書室の本棚をはたして私は手に入れたと言えるのだろうか。
ムサシノ絵日記 引越し( 無名 著)
このマンガを読んだ時も、私は家に入らなかった中学校の本棚を思い出した。描いた作者は「知らんがな」と思うだろうが、私の場合は入らなかったのだ。このマンガでハシゴを外すように語られるオチのように、もちろん入ったモノが幸せな時間を過ごすとも限らない。それにしても友だち数人がかりで運んだベッドを、ふたたび出す時はいったい誰が運んだのか、そのことばかりが気になる。
私は仕事をしていても、入らなかった本棚を思い出す。なぜならドラム式洗濯機や冷蔵庫を売っているからだ。特にドラム式洗濯機は、買ったはいいものの置けなかった事例が豊富な、注意すべき買い物の筆頭だ。入らなかった悲劇を耳にするたびに、私は入らなかった本棚を脳裏に浮かべながら、くれぐれも搬入経路の幅を計測してくれとつぶやく。
エレベーターの幅、廊下の幅、玄関ドアの幅、廊下の幅。いたるところに「入らない」ポイントはある。どうかくれぐれも大きな家電を買う時は、いたるところの幅のメモをご準備ください。買ったモノが家に入らない経験を持ち続ける者からのお願いです。