こじんまりしてます、@SHARP_JP です。人にはそれぞれ、いっしょになにかをする時の適切な人数がある。身の丈にあった人数と言うべきだろうか。たとえば私なら、テーブルを囲むくらいの人数がいちばん落ち着く。つまりは自分を含めて、3〜4人というところだ。
3〜4人で話したり、どこかへ行ったりが、私はどうも好きらしい。もちろんそうする場合は親しい間柄の人といっしょにとなるのだけど、たとえ仕事であっても3〜4人で打ちあわせをしたり、なにかを考えたりすることはさほどイヤではない。そこに初対面の人が混じっていても、少なくとも私の場合は人見知りを発症することもなく、スムーズに仕事が進められることが多い。
なにが言いたいかというと、とにかく私は大人数の呑み会が苦手なのだ。そして3〜4人で呑むのが好きなのだ。昨今のコロナ対策で1テーブル4人までといった、会食の人数を制限する風潮ですら、むしろちょうどいいと思っていたくらいである。だからといって、積極的に呑みに行っていたわけではないけど。
もちろん囲むテーブルがでかければでかいほどいいと思う、陽の人がいるのも知っている。テーブルが果てしなく長い、あるいは円卓が結婚式のように大きい所で、みんなでワイワイの采配をふるうことができる人を尊敬するけど、私にはその能力はない。むしろだんだん長いテーブルの端に追いやられたり、いつのまにか円卓の孤島になってしまう、残念な傾向が私にはある。
消極的な理由に見えるかもしれないが、だから私は3〜4人でテーブルを囲みたい。複数の話題と会話が交錯するような大勢でもなく、だからといってひとつの会話に入ったり入らなかったりが許され、ぼんやりしていても端に追いやられようのない、こじんまりしたテーブルでダラダラ呑むのが、私は好きなのだ。それすら満足にできない2年だったから、そろそろ切実に、小さく呑みたい。あの3〜4人で囲む、こじんまりしたテーブルが恋しいのだ。
3人グループは苦手(stnchan 著)
一方で、3人が苦手だと切々と語るマンガである。読めば私も言いたいことはとてもよくわかった。たしかに3人は、会話が複数並行することはない。別の会話に参加することは物理的にできないから、自分以外の2人の会話に入るか、入らないか、の選択肢しかないわけだ。
そしてマンガの中で描かれるように、会話に参加しない選択が「怒っている」サインなのかと、必要以上にネガティブに捉えられることもたしかにあるだろう。そもそも3人とは、最小単位の村と言えるのかもしれない。ましてやマンガは思春期真っただ中の話である。若さゆえの世界の狭さは、仲間内の閉鎖性に直結するだろう。そこに息苦しさを感じるのは無理もないことだと思う。
ひとつだけ、私から申し上げられるとすれば、大人になると「ほっといてくれる人」が必ず現れるということだろうか。あるいはつきあいを深めると友人との間に、ほっとく・ほっとかれるという新たな選択肢が生まれる。だから心配せずともだいじょうぶ、3人はとても心地のよい数字になるはず。そしてそういう3人で囲むテーブルは、適度にやさしく、この上もなく居心地がいいのだ。その点だけは、私が保証する。