いったいいつまで残暑をお見舞いしなくてはいけないのでしょうか、@SHARP_JP です。私の属する業界では、季節家電という分類がある。春の家電といえば、花粉に対処する空気清浄機。夏といえば湿度と温度に立ち向かうエアコンや除湿器。秋はそろそろファンヒーターを準備し、冬は加湿器で乾燥に備える、といったところだ。四季折々の変化を楽しむのが古来より続くわれわれの美徳だとすれば、四季折々の変化に家電を売り、四季折々のうつろいに家電で抗おうと喧伝する私どもは、実に無粋極まりない存在に思えてくる。
とはいえ今年の暑さはたまったもんじゃなかった。無粋などと言ってる暇もなかった。この文章は便宜上、夏も終わってまもなく秋、という体裁で書き進めてはいるが、9月末のいまもいまだに、うんざりするほどクソ暑い。私はいったいいつ、世間に秋の家電をおすすめしていいのか、皆目わからなくなっている。家電売り場をレイアウトしている人たちも、みな同じ悩みを抱えていると思う。
とにかく暑さの切実さが、段違いに跳ね上がってしまった。もうヤバさがちがうのだ。身体の内側から発せられる、生死に関わる警告をガンガン受信してしまう暑さに、私たちのなすすべはそれほどなかった。結局のところ、なるべく気温の低いところへ行き、なるべく水を飲み、なるべくじっとしているしかないのだ。
そして気温の低いところは、夏の家電が下支えしていた。エアコンがここまで切実に、生活シーンの中で意識にのぼることもなかったのではないか。かつては「ちょっとした不快を快適に」がエアコンの宣伝文句の常套であり、エアコンの存在意義であったはずなのに、事態はすっかりシビアになった。ほとんど「エアコン オア ダイ」という脅迫めいた暑さを前にして、エアコンには電気代以外の差別化も、素敵な生活を想起させるキャッチコピーも必要とされない世界へ変貌したのかもしれない。もはやエアコンは、おすすめして売るモノではなく、生き延びるために買うモノなのだ。
チャレンジ(かんぱち 著)
「今年のエアコンはよくがんばった」そう思う人は多いだろう。電気代の請求書には目をつむりたくもなるかもしれないが、黙々と働くエアコンに怒りの目を向ける人はいないと思う。
だいたい「つけっぱなし」の家電は、影が薄くなりがちなのだ。必要に応じて操作する家電に比べて、現状を維持するために稼働し続ける家電は、それをわざわざ意識するきっかけがほとんどない。洗濯機や掃除機と、冷蔵庫やエアコンを比べれば、生活における意識下の位置付けが異なることがわかると思う。
でも、さいきんのエアコンはちがう。現状を維持するために黙々と働くどころか、われわれの生命を維持するために黙々と働くのだ。そう考えながらこのマンガを読むと、エアコンへ労いの気持ちがわいてこないだろうか。いま私は、部屋のエアコンに「おつかれさま、ありがとう」と言いたくなっている。
みなさん、この夏をよく乗り切りました。おつかれさま。もしよかったら、あなたの夏を支えたエアコンにも、つかの間の休息と、フィルター掃除という労いをかけてやってください。それからエアコンのみなさまにおかれましては、たくさん売れることでメーカーの売り上げを下支えしてくれました。これに関して、私の方からお礼を言わせてください。ありがとうございました。