ひるめしのもんだい、@SHARP_JP です。転職はしたことがないが、転勤はしたことがある。それが幸せなことなのか不幸せなことなのかは知らない。とにかく何度か、勤務地が変わったことがある。
その勤務地のいずれもが、都心であることはなかった。都心というと東京の中心区を連想してしまうがそうではなく、どこの都道府県であってもその中心地で働くことが叶わなかった、ということだ。私が働くのは街の外れだったり、郊外だったり、いつも繁華な場所からは距離があった。とうぜん、出勤して降りる駅も人でごった返すことがない。私はオフィス街と呼ばれるエリアで働いた経験がない。
なにが言いたいかというと、私は「きょうの昼めしをどこで食べるか」に頭を悩ませたことがないのだ。たいてい選択肢は2つ、多くて3つ、あるいは食べないという選択が追加されるのみ。積極的に昼食を選ぶという行為に縁がない。だから自分のデスクを中心にして、無数に拡がるランチ候補を前に、きょうはどこの店でなにを食べるかをあれこれ思案する仕草に、いまも若干の憧れがある。
加えて私は、いわゆるランチ時間が他人と異なる。長らくSNSとスマホに向き合う仕事を続けるうちに、私の繁忙時間が「みんながスマホをながら見る時間」に重なってしまった。つまり私はSNSの対応に追われるあまり、一般的なランチの時間帯が、1日でもっともいそがしいのである。
だからすっかり、自分のランチはみんながランチを済ませたあと、が習慣付いてしまった。それはもうクセのようなもので、コロナ渦中も変わらず、私は14時以降に昼食を食べる生活が続いている。その時間に昼食を食べられる選択肢となると、さらに絶望的であることは、なんとなくわかってもらえるのではないか。それは別にいいんだけど、おいしい店に詳しい人を前にすると、ちょっと機会損失をしてきた気にはなる。別にいいんだけど。
第6話 VR俺の昼メシ(こーん 著)
だから、お昼時になるとそわそわしはじめるおじさんのことが、私はいまいちわからない。そわそわするおじさんが周囲にいたこともないし、自分もそわそわすることはない。そわそわするとしたら、それは単に空腹のせいだと思う。私のそわそわは、どこでご飯を食べようかという迷いではなく、ただはやくご飯が食べたいという焦りに起因しているだけだ。
懐に余裕があればを前提にするかぎり、迷うことが楽しいことはたしかにある、肌寒くなるこの季節に、コートを買おうか買わないか迷うのは、楽しい逡巡だろう。必要に迫られるわけでなく、新しいスマホのスペックを比較するのが楽しい人もいると思う。たぶんひるめしの問題も、そういう種類の楽しい迷いのひとつでないか。
だからもし、ランチの店をどこにするか存分に迷えるVRがあれば、私は迷わずゴーグルを装着してしまうと思う。私は仕事の楽しさと引き換えに、迷う楽しさを失ってしまったのかもしれない。お昼時にそわそわすることなく、私は年を重ねている。