師走の候、今年も残すところわずかとなりました、@SHARP_JP です。びっくりした。もう年の瀬だ。2022年も終わりだ。一年が早いというか、いまがいつかすら怪しいペースで時が過ぎ行く。
もとより私はぼんやりした頭しか持ち合わせていないので、過去を時系列に認識するのが苦手だ。私の記憶は、子ども期・青年期・大人期と、あまりにざっくりした仕分けフォルダに放り込まれるので、いつまでたっても思い出が整列しない。たぶん私の人生はいずれ、スフィンクスのなぞかけのように「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足の動物」としか描きようのない、章立ての粗い自伝にしかならないのだろう。
そういう過去の距離感がいつもあやふやな私は、コロナの3年でその症状が加速してしまった。私が「ついこの前」と口にする思い出は、先週のことから3年前のことまで、驚くほどの広範囲を指す。できるだけじっとする生活も3周するうちに、私はいまがいつなのかがあいまいになり、それゆえに過去と現在の隔たりが測れなくなったのだと思う。
コロナですべてがのっぺり平坦になった毎日が、ますます私の時間感覚をフラットにしていく。私の思い出は現在から過去へと流れるそばから、なにもかもがなつかしい気になり、なにもかもが新鮮な気がする。私はいま、それが1年前のことなのか、2年前のことなのか、それとも3年前のことなのか、ことごとくあいまいな時間にいる。私の「ついこの前」の過去は奥行きがなくなり、なつかしさも少し、薄味である。
ぽんすけ成長日記 「なつかしいもの。」(ひとり 著)
しかし、ここに描かれるなつかしさはちがう。日々成長するわが子の姿に刻みこまれた、父の目線だ。きめ細やかで、かけがえのない記憶。子と親の過去が連綿と続き、現在にちゃんと接続している。
できれば私も、そんな実感のある過去を取り戻したい。できれば来年は、のっぺりした毎日から脱し、手触りのある時間を過ごしたいと思う。
今年もおつきあいくださり、ありがとうございました。来年は私の文章やツイートが日常の中で、あなたの時間感覚を取り戻すような存在になれればと思います。