スケジュールが迷子になりがち、@SHARP_JP です。情報解禁という言葉がちょっと苦手だ。聞いたり見たりするのならまだしも、その言葉を使うとなるとぞわりとする。職業柄、情報が解禁される場所の近くにいるどころか、情報を解禁する役割を担うことも多いので、私はそのたびに目の前で黒板を引っ掻かれるような、いたたまれない心持ちになる。
いたたまれなさの理由はわかっている。情報解禁には、その言葉を選ぶ側の自意識(の過剰さ)が透けて見えるからだ。仮に私が「スマホの新製品に関する発信」を情報解禁と称してツイートせねばならない場合、それを見た人からの「知らんがな」という舌打ちともつかないツッコミと、そもそもウチの情報など「だれも待っていないのでは」という疑心暗鬼に突き上げられ、私は内と外のいたたまれなさに板挟みされてしまう。そういう事態は、可能なかぎり避けたい。
思えば私は「こっちの勝手」を排除しながら、いかに素直に多くの人に伝えるかに心を砕いてきたところがある。だから極端なことを言えば、自社製品の新発売すら、それは「こっちの勝手」だと思っている。もちろん「こっちの勝手」のこっちとは、売る側を指す。つまりは企業の側だ。扱う商売によっては、運営と呼んだ方がいい時もあるかもしれない。だが決して「こっちの勝手」のこっちが、お客さんを指すことはない。
結局のところ製品をいつ発売するかなど、売る側の思惑含みの勝手な事情ではないか。新製品の発売日をいくら仰々しく解禁したところで、それを喜ぶのは(いればだが)それを待ち焦がれていた人だけだろう。例えばエアコン新製品の発売を心待ちにしている人がどれほどいるか。人々がそれを気にするのは気温がグングン上がって汗ばんだ時か、使っているエアコンが壊れた時だろう。だから私は、こっちの都合で決めた発売を、情報解禁とは呼びたくない。
というより、どんなタレントがコマーシャルに登場しようが、会社が創業何周年を迎えようが、企業が世間へ発信することのほとんどは、ごく一部の人をのぞいて「こっちの勝手」なのだ。だから私は情報解禁という言葉で「世の人々はあまねく、われわれの情報を待ち構えているにちがいない」という、企業の自意識過剰を無邪気に表明するのが耐えられないのである。自分に甘い方向へ、自意識が尊大な人がモテたためしを、私は寡聞にして知らない。
毎日マンガ 第66話(さてよ 著)
では情報解禁という言葉を使わずに、こっちの勝手を伝えるにはどうすればいいかとなると、なかなか難しいものがある。いまのところ「お知らせ」以外に、ちょうどいい言葉が見つからない。とにかく私は「こちらの勝手は重々承知していますが、どうにか知ってほしいのです」という立ち位置から、企業の発信をしたいのだ。
当たり前のことだが、お金を介して売り買いされるモノは、そのモノの存在を複数の人に知られることではじめて成立する。だれにも知られないモノは、ほぼ死に等しい。だから企業は必死に知ってもらう活動をする。私の仕事もその延長上にあるのだけど、私はやっぱり、知ってもらう方法や、その時の印象や文脈こそを、大切にすべきだと考えてしまう。なぜならモノはようやく知ってもらった後に、買ってもらうという、これまた狭き門が待ち構えているからだ。
翻って。企業でなく個人による「こっちの勝手」の情報解禁は、一転して微笑ましい。とりわけ家族や友人の勝手な情報には愛らしさすらあるし、それに寄せられる「知らんがな」の声にも愛おしさが含まれるだろう。ましてやしんどいニュースで社会が覆われがちないまなら、その微笑ましさも貴重なものに感じるのではないか。だからこのマンガの主さんも、取るに足らないお知らせを臆せず世に放てばいいのだ。あなたを近しく思う人ならきっと、微笑みながらその情報解禁を受け取ってくれるはず。
さいきん鼻毛に白いものが混じるようなりました。私からの情報解禁は以上です。