生きる範囲がせまい、@SHARP_JP です。京都で生まれ育って、大阪で働いている。転校をともなう転居や進学で上京、あるいは留学といった分岐もなかったので、私が生息してきたエリアはそうとう限られる。もちろん出張や旅行であちこちへ行ったことはあるが、生活の場という意味ではせいぜい関西と呼ばれる範囲の中で生きてきた。腰の重い人生とも言える。
ただし私にも一度だけ、2年あまり縁も所縁もない場所で暮らしたことがある。仕事の都合で、関西からも東京からも遠く離れた場所に引っ越した。そこでの暮らしぶりが自分にとってよかったのか悪かったのか、今でもよくわからない。周囲の環境に反して仕事は忙しかったけれど、同僚は気のいいやつばかりだったから、それなりに楽しかった。一方で、住む場所も会社の敷地の中、飲み食いできる店の選択肢はコンビニのほかにあと数軒といった生活の閉塞感も同時に感じていた。
ある日、その縁も所縁もない場所で私はキリのいい年齢の誕生日を迎えた。そしてなぜか、いい年の大人になったその日から、私はスケボーをはじめた。夜中にひとり、工場の敷地でゴロゴロと車輪の音をたて、そして盛大にこけるあの時の自分はまったく意味不明だが、いいも悪いもないまぜに、妙な焦燥だけを抱えていた感覚はよく思い出せる。
そこがいいか悪いかわからないけど、ただ私は、田舎とも都会とも呼べない場所があることを、そこに暮らすことで知った。見渡すかぎり山が見えるのに身の回りには自然がない街。真ん中を直線的に高速道路が切り裂く街。大型ダンプが行き交う脇を自転車でこわごわ走る街。ファミレスとコンビニが交互にまばらに、巨大なイオンが20kmごとに配置された、車で走ればシークエンスをはじめる国道。そういう場所が自分の住む国にはいたるところにあるのだと、私は身を以て知ったのだった。
都会の反対は田舎ではない。都会の反対は、都会でも田舎でもない場所だ。そしてそういう街はどこにでもあるし、私たちが想像する以上にたくさんある。だから私は、都会と田舎の間にひろがる、膨大で灰色な場所を想像して仕事をするようになった。どうにかなにかを多くの人に伝える手段として、私がツイートを仕事にしはじめたのも、その感覚と決して無関係ではないと思っている。
1Pマンガ(まるいがんも 著)
ある程度の年を経ると、だれでも「住んでいた」と過去形で振り返る街がある。まずは、自分が生まれて幼い頃を過ごした、柔らかな街だろう。しかし次に、そうでない街を思い出すこともある。苦々しい思い出や不幸な記憶が刻まれた街を振り返る人もいれば、もう今はない場所として喪失を思い出す人もいるかもしれない。
あるいはこのマンガのように「いい思い出ばかりじゃないけれど今となっては懐かしい」という、いいも悪いもないまま少しだけ甘やかに思い出す街だってあるにちがいない。そしてそういう街はきっと、住んでいたと過去形ではまだ仕舞えない、いまの自分と地続きの場所なのだ。私がかつて2年あまり住んだ場所もそういう街なのだと思う。マンガの彼がつぶやいたように、そこはいまの私が「なんとかやっているな」と確認できる、参照点のような街なのだと思う。