
ゾッとするような毎日、@SHARP_JPです。たとえばずいぶん年配の人から、自分が生まれる前の過去の、その人が体験した素晴らしい時間や場所を語られると、なんともうらやましい気持ちになる。いまとなっては不朽の名作として知られる作品をリアルタイムで熱狂しながら読んでいたとか、もう死んでしまった巨人のようなミュージシャンの演奏を日常的に体験していたとか、万博に立つ太陽の塔を見た記憶があるとか、そういった類の話だ。
ぜったいに自分が体験することが不可能な過去の話は、自分もその時代に生まれたかったなという憧れを募らせるだけ募らせて、それを語る当の本人はドヤ顔を残して去っていくから、なかなか残酷なことである。血湧き肉躍る歴史物語に触れた少年の妄想も、似たようなものだろう。ヒーローはさっそうと去っていくし、戦国の武将に自分の才を認められることもない。転生だってあるのかもしれないけど、死んでみないとわからない。とにかく生きている間は、時間が巻き戻ることはないのだ。
転じて、悲惨なニュースを目にしたり、自分や自分の周りが酷い目にあったりすると、なんでこんな時代に生まれてしまったのかと、自分の生を愚痴りたくなることもあるだろう。全世界で災厄に直面するいまなら、その運命を呪ってしまうような気持ちは人類共通かもしれない。現在は暗い時代なのだ。
自分はなぜこの時代に生まれてしまったのかと嘆きそうになると、私には決まって思い出すゲームがある。それはウィッチャーという、ポーランドのファンタジー小説をベースにしたゲームで、かんたんに言うと魔女狩りの頃の中世ヨーロッパを舞台に魔物退治をする物語だ。ゲームの完成度も高く、好きなゲームに挙げる人も多いと思う。中でも暗い時代という世界観が「かつてはほんとうにそうだったんだろうな」と思える作り込みで、なにしろ家は粗末で汚く、食べ物も貧相でおいしそうではなく、行き交う人も暗い話しかしないのだ。馬で走る道はことごとくジメジメしていて、だいたいどこも病気が流行って、人が行き倒れている。
もちろんプレーヤーである私は主人公を操るのだから、常人ではない力もあるし、さまざまに人を救ったりするのだけど、暗い世界の作り込みがすごすぎて、ゲームをやればやるほど「この時代に生まれなくてよかった」という思いが強まるのだ。清潔や人権とは無縁の世界で、どこに移動しても「おれならとっくに死んでる」と呟いてしまう、あの感覚がどうしても忘れられず、今という時代を嘆きそうになると私はいつも思い出すのだ。
中世農村日帰り旅行記(tousirou 著)
ところでこちらは中世のヨーロッパへ日帰り旅行するマンガである。日帰りならいい。日帰りなら今日中に帰れるという確証があるから、たとえ私でもジメジメした未舗装の道を歩かされてもなんとかなる気がする。「行って帰ってくる」のが神話の雛形なら、「行っても帰ってこれる」確信は、旅行の本質だとさえ思えてくる。
時空を超えて行っても帰ってこれるなら、どんな時代も私たちが立つ現在と地続きであると実感できるのではないか。現在は連綿と過去が改善された結果であるという実感。もしそうならば、現在と過去を比べて過去を羨むということは意味をなさなくなって、「私たちの今」がもっとずっと生きやすいものになるかもしれない。時間を巻き戻せないわれわれにとって「今日よりも明日がマシ」という確信は、想像以上に私たちを支える感覚なのだ。
どこを見回しても今日より明日がマシになると思えない現在だからこそ、時空を超えた日帰り旅行を描くこのマンガがなんとも甘美な響きを帯びてくる。時空を超えて行っても帰ってこれるゲームとかないのだろうか。せめてゲームだけでも、今日より明日がマシな世界に浸っていたい。もはや私はそういう気持ちにある。