言わぬが花、@SHARP_JP です。いちいち他人に言わないけれど、自分の中では一歩たりとも譲歩できないくらい嫌いなモノが、私にはいくつかある。そもそも好き嫌いの嫌いを表明することは、それを好きな人をムッとさせる可能性がつきまとうことにおいて、あまり推奨されるコミュニケーションではない。嫌いな食べ物の話題なんてその典型だろう。
嫌いを表明することは、同志が見つかる醍醐味はあれど、それと同じくらいの、あるいはそれ以上の、しゃらくさいヤツだなとか、めんどくさいこと言いやがってといった反感を集めてしまうのが関の山だ。これが趣味性を増した話題なら、反感どころか論争、絶縁に発展してしまうことすらある。
一方で、絶対に譲れないからこそ秘匿する「嫌い」もある。生理的に嫌なモノほど、そういう傾向にあるのではないか。なにがあってもそれに遭遇したくないからこそ、だれにも言わずに、粛々と先回りして回避したい。とにかく自分でなんとかすれば避けられるのであれば、有言実行の回りくどさを捨て、無言で実行するような「嫌い」があると思う。
前置きが長くなった。私はとにかく、手触りがツルツルしていて、それゆえに指の滑りがなめらかではなく、むしろ光沢ゆえにつっかかって阻害されるような、あの感じが、ほんとうにもう、どうにもダメなのだ。手や指が触れるのは、可能な限りサラサラしていてほしい。最悪ザラザラでも湿っていてもいいから、とにかくツルツルゆえにキュッキュッとなるあの感じが、たまらなく嫌なのだ。
その光沢ツルツルは、私たちの生活のいたるところに潜んでいる。そう、家電だ。とりわけ、スマホだ。手に触れる部分が輝きを放っていると、私はもう警戒する。そこにシボかマットかの加工はないのか。サラッとの配慮はないのか。静かに観察し、その加工と配慮がなさそうなら、私はそれを手に取ることはない。
とはいえ先日は危機があった。会社から支給されたスマホが、光沢ツルツルだったのだ。私はそのスマホを目にした途端、苦渋の表情を浮かべ、会社から絶対にしろと指示された初期設定を放り出し、サラサラした画面フィルムとスマホケースを探しにいったのであった。それでようやく、触れるようになった。めんどくさいヤツである。
標的は同人誌即売会 第25話(田淵有希也 著)
言わなくてよい「嫌い」をなぜここで言おうと思ったかと言うと、ただこのマンガに、同じ嫌いを持つ人を見つけたからである。私も本はできるだけ、ペカペカしてキュッキュッしてないでほしい。キュッキュッを回避するために私は本にカバーをかけるし、場合によっては表紙を外して読む。そうしないと、読書が不快な体験になってしまうのだ。
そういうことを、これまで人に言わずにやってきた。静かに深く頷いてくれる人がいることを願う。頷けない人はしゃらくさいヤツだなと思って、そっとしておいてほしい。私は光沢ツルツルが、どうにもダメなのだ。