絶賛夏のバーゲンセール中、@SHARP_JP です。だいたいの家電(に限った話ではないけど)には、機能がたくさんある。あれもできる、これもできると機能がてんこ盛りだ。作って売る側で宣伝を担当する私でも、ぜんぶ紹介しきれないほど、ひとつの家電に機能が無数にある。いまや洗濯機がしゃべるわけだ。
機能がたくさんあるから、お客さんの中には「これは要らん」というようなものもあるにはある。機能を紹介する側の私でも、はたしてこれは「こんなのが欲しかった」と歓迎されるだろうか、と疑問に思うモノもある。正直な話。
いずれにしろわれわれはなにかを購入しようとする時、基本的な機能は当然の条件として、その他の機能をいくつか見てまわり、必要だと思う機能がじゅうぶん付いていれば、少なくとも候補には入れるだろう。そうでない機能は、別に必須ではないけど「あるならまあいいか」という程度の評価に入れて、あとは財布と相談となるはずだ。
これは作って売る側の言い訳に聞こえるかもしれないけど、いくら要らないと評価される機能でも、もともとそこに悪気はない。てんこ盛りの機能どれひとつとっても、メーカー側は本来よかれと思って、それを付加している。だから結果的に「ごちゃごちゃして難しくなるんだろうが」とのご指摘は、たしかに「すみません」としか私には言えない。しかしひとつひとつは「だれかの役に立つ」と信じて開発されているのだ。使う人に「迷惑をかけてやろう」と考えることは、万が一にもない。
ただごくまれに、だれかのために「よかれと思った機能」が、別のだれかに「悪意をもった機能」として受け取られる場合がある。両方のだれかが行き交うツイッターで、その機能を紹介する私はどうしても、善意と悪意に板挟まれることがある。
たとえばそれは、柔軟剤である。衣類を「いい匂い」にするために、柔軟剤を常用する人が増えたことを知ると、洗濯機を作る側は、いい匂いをさせたい人のニーズに役立とうと考える。そしてすすぎの工程を工夫するなどして、洗濯機には柔軟剤の効果をより高める機能が付く。が、その機能は匂いに敏感な人にとっては迷惑なモノとして映る。かくして私のもとには、とある機能の紹介に歓迎と忌避が同時にやってきて、うなだれてしまうのだ。
新しい柔軟剤めっちゃ良い匂いだけど(雨森 睡 著)
たしかに衣類の匂いは、単純な話ではない。それが苦手な人は柔軟剤を使わなければよいとか、柔軟剤の匂いをどうこうする洗濯モードを選ばなければよい、という単純なものではない。たとえば、職場で隣り合う人の衣類の匂いに悩まされるといった、自分だけでは対処のしようがない場合がある。だから洗濯機の機能に悪意を感じる人は、そもそも柔軟剤と衣類の匂いに対する風潮について、異を唱えたいのだろう。「よかれと思って」が、ある人にとっては悪意にしか感じられないことは、たしかにある。
それにしても、匂いという感覚はなかなかあなどれない。匂いが強烈に記憶と結びついていることがある。むかし好きだった音楽を聴くと、それを聴いていた当時の情景をありありと思い出すように、ある匂いがふと鼻をかすめるだけで、記憶が喚起されることはある。まさにこのマンガのように、可憐な匂いをかいだはずが、なぜか前職の上司を思い出すといったことだ。
よかれと思ってがよくないことがある。よかれと思ってが致命的に迷惑なことはある。ある機能が決定的に「買わない」ことに作用することだってあるのだ。だから私はいつも、機能の羅列された表を善意の集積として眺めるわけにはいかない、と肝に銘じる。善意が反転して伝わる人が、私たちのとなりに座っているかもしれないのだ。