ウンウン唸ります、@SHARP_JP です。なんも思いつかなくて困ることがある。現にいまがそうである。毎週ここでコラムめいた文章を書き続けているが、どうしても書けない時がたまに訪れる。
なんとなく自由げに見える、ツイッターの仕事をしているせいか、しばしば私は「なんか考えてよ」とカジュアルに企画を求められることも多い。こちらの場合はだいたいいつも、なんも思いつかない。たまにならまだしも、何度も何度もなんかを期待されても困る。思いつきを寄越せという人にはわからないだろうが、思いつく人にとって、思いつくことは得難く、尊いことなのだ。
思いつきをアイデアとかインスピレーションとか言い出すと、自分のやっていることがアーティスティックでクリエイティブだと自称するようで小っ恥ずかしくなるけど、そんな格好をつける余裕もないくらい、思いつかないという状態は自分を追い詰める。繰り返すが、いまがそうである。いまの私は、なんか思いつきますようにと、5分後の自分に自分の行く末を仮託している。
先日、とある高名な広告クリエイターの方とイベントをご一緒する機会があった。いろいろと冷たく取り沙汰されがちな広告だが、その人の手がける広告はことごとく世間から好意的に受け入れられ、受け入れられるどころかクスリと笑って受容されるような、知性とやわらかさが同居している。一度や二度ならまだしも、毎年毎回そうなのだから、打ち上げの席で私は思わず質問してしまった。「なんも思いつかない時はどうしているんですか」
こたえは「締め切りがなんとかしてくれます」だった。痺れた私は「なんも思いつかない時でも、なんか思いつく未来の自分を信じることができますか」と続けて聞き、明快に返ってきた「はい」にまた痺れてしまった。それを自信と言ってしまうのは簡単だけど、ちょっと先の自分が自分を決して裏切らないという確証にいたるまで、いったいどれだけのウンウン唸る時間があったのかを考えると、私は頭がクラクラした。
来るべき締め切りという未来に、いまはまだ出会えていないアイデアを思いつく自分を、現在の自分から疑いようもなく信じられること。自分の可能性を未来の自分に仮託する感覚は私でもうっすらわかる。しかし、締め切り時点の自分がいつも史上最高だと信じられる境地からいまの私が程遠いことは、この文章を読んでもらえればわかると思う。
夫の労働スタイル2(たぬ£ 著)
だから私はウンウン唸る。手をかえ品をかえ、ウンウン唸る。このマンガの夫さんのように、ウロウロ歩く。私もよく会社の中を徘徊する。風呂にも入る。コーヒーも飲む。犬を撫でる。
なにかをしながらウンウン唸り、ひたすら5分後の自分に希望を託す。うまくいく保証はない。ちょっと先の自分、がんばってくれ。そう繰り返す私は、ひたすらウンウン祈るばかりだ。ちなみに締め切りは、もう1日過ぎている。