厳密に言えば厳密ではありません、@SHARP_JP です。言葉に厳密さを求めるとロクなことがない。もちろん学術とか報道とか公的な場所では言葉に厳密さがないと話にならないが、生活の場でいちいち言葉に厳密さを求めていたら、だいたいのことは回らなくなる。私たちはだいたい100%を100%とすることで、だいたいのことをやり過ごしている。「なに食べたい」という質問に「なんでもいい」と答えるあの地雷性を思い出せば、だいたい思い浮かぶと思う。
「なんでもいい」は、厳密に言えばなんでもいいわけではない。だいたいは「ここからここまで」の範囲付きの「なんでもいい」だ。他方で「なんでもいい」を言われる側にとっても、それは選択の自由を委ねられる、心優しい言葉ではない。むしろ、なんでもの「なに」を考えるのが負担だからこそ聞いたのだ。具体が欲しいのであって、無限はお呼びではない。なんでもいいと答えていい質問ではないのだ。だいたいいつだって、「なんでも」は100%ではないし、言う方も言われる方も「なんでも」に厳密さを求めれば、無用な衝突を招くだけだ。
「なんでもない」も同様だろう。100%ないわけではない。なんかある。なんでもない一日などとタイトルにすれば、なんもないことに得難い価値があるのだという幻聴が聞こえてくる。なにかを言いかけて「なんでもない」と言えば、そこになにもないと安堵する者はいないだろう。ぜったいに、なんかある。
「なんでも」は100%全部を表す言葉ではない。いつも例外と想定外を含んでいる。私たちは言質に厳密さを求められるなら、なんでもなんて、生活でめったに使うことのできない言葉であるはずだ。「なんでも」は、いつも盛られた状態で使われる。
真剣!侍ナース 第10話(梅元とうふ 著)
「なんでも聞いてね」もあぶない。なんでもよかった試しがない。私も、なんでもって言ったじゃないかと天を仰いだこともあれば、質問の敷居を下げてあげたいばかりに、サービス盛りの言葉として、なんでも聞いてねと言ってしまったこともある。このマンガのようなことは、新人がやってきたいたるところで繰り返されているのだろう。
ただし権力の勾配がある場所での「なんでも聞いてね」は、やはり言う方が気をつけるべきことだとと思う。なんでもの範疇を一存で決められる側が、なんでもを濫用するべきではない。ここはやはり「わからないことがあれば、いつでも聞いてね」と言うべきだろう。
とはいえ「いつでも」がまた、いつでもいいわけではなかったりするのもまた事実。そういった、厳密に言うとややこしい人には、なにか質問しようとした刹那に「なんでもありません」と言えばいい。なんかあるふりして、「なんでも」の主導権をこちらに奪い返せばいいのだ。