滋賀のとなりで生まれ育ちました、@SHARP_JP です。ここはマンガの話をする場所だが、たまには小説の話をしてもいいだろう。そもそも、ここは私の独語の場であり、ただの問わず語りだからだ。
『成瀬は天下を取りにいく』という小説を読んだ。人伝におもしろいらしいと聞いたから読んでみた。読んでから書店に行くと、比較的大きなスペースで宣伝されていたりするので、けっこうな話題作なのだと思う。ただしその話題は、私の生活圏に限定された、とりわけ滋賀県とその隣の京都市内だけのものかもな、と思い直すふしもある。
なぜなら小説の場が非常にローカルなのだ。それも物語の舞台が地方、というような単純なものではなく、長らく駅前にあったデパートがなくなる事実が、物語の重要な要素を構成している。そこにあった「当たり前」を経験してきた、おそらく滋賀や京都で育った大人は、言い知れぬ魅力をたたえた主人公の少女の言動とともに、もうデパートがないという光景を読みながら激しく経験するのだ。西武大津店の不在を読む、その経験がおもしろかった。
で小説を読んだ私は、その小説のあり方を含めてとてもおもしろかった旨をツイートしたのだった。すると出版社の人から連絡があり、関西の地方紙で小説の新聞広告を出すから、そのツイートを使わせてほしいと依頼があった。減るもんでもなしと快諾してしばらく忘れていたら、先日出版社の人がご丁寧にも、広告が掲載された新聞各紙を送ってくれた。
いつもスマホで覗き込むツイートが縦書きになって、新聞の下五段に載る経験もなかなか奇妙なものだったけど、私は自分のツイートと他の人の推薦コメントが並ぶ光景に思わず笑ってしまった。私、滋賀の校長先生、関西に住む芸人さん、凛と美しい俳優さんと、文字どおりこれ以上ないくらいバラエティに富んだ、脈絡のなさだった。しかしその脈絡のなさは、実は小説を読んだ人にとって、ニヤリとする並びだと気づいた時、私はそれをもう1回読みはじめていた。
高二の夏(こなたこな 著)
『成瀬は天下を取りにいく』には、人前で漫才を披露するというシーンが複数回描かれる。このマンガのように、初々しさがありながらも、一方でふてぶてしさもある、素敵な光景だ。うまくいかないのはわかっていたけれど、うまくいこうがいくまいが、そんなことはどうでもいいと思える大切な経験が手に入る。
そういう経験は後々、自分の大切な判断基準となっていくことを私たちは知っている。このマンガのように、大人になって振り返ることで、それを知るのだ。しかし『成瀬は天下を取りにいく』の成瀬は、その経験をする前からあらかじめ知っている。その独特な達観が、主人公の魅力のひとつだと思う。
そういえば私は、読後のツイートをふたつ行なっていた。「私、同級生だったら成瀬と仲良くなってると思う」。こっちは広告に採用されなかった。