ずぶ濡れです、@SHARP_JP です。出かける時、スマホやパソコン、ルーターやケーブル、バッテリーなど、仕事と通信に関わるモノは念には念をカバンに入れて持ち運ぶくせに、それ以外はできるだけ荷物を増やしたくない。カバンに入っていたら便利なモノがいろいろあるのは知ってはいるが、いまや財布すら重く感じるようになってしまった。そのくせ読みかけの本は単行本であってもカバンにいそいそ入れたりするから、我ながら矛盾している。私にとってカバンの重みを構成する要素は、質量のみではないのだろう。
とにかく私は、折りたたみ傘をカバンに入れたくないのだ。あまりの入れたくなさに、私はいつも天気予報を念入りにチェックする。念入りにチェックして、雨の予報ならしぶしぶ入れる。入れたら入れたで、今度は傘を取り出すのがめんどくさくて、ささずに濡れるのでタチが悪い。自分でもいったいなにをやっているのか、わからない。
とはいえ、さいきんの豪雨を経験するにつけ、もはや折りたたみ傘は意味をなさないのではないか。あの雨は、折りたたみ傘では凌げないだろう。雨はしのぐものではなく、やりすごすものになっているのかもしれない。そして私のカバンは、雨をやりすごすための道具に事欠かない。雨がやんでも読み終わらない本はあるし、パソコンやスマホの充電の心配もない。私にとって、雨をやりすごすための重みは、苦にならないのだ。
雨を察する女の話<あまね予報>(み・ちこ 著)
それにしても、近ごろの雨を予知する精度には驚かされないだろうか。位置情報とアプリから「30分後に雨が降る」と通知されれば、そのとおりになる。屋内にいて土砂降りの雨がはじまっても、昔ほどみんな慌てふためくこともない。スマホを取り出し、すぐやむよなんて、声をかけあったりしている。つい20年ほど前なら考えられない日常だろう。昔の人が見れば、私たちはシャーマンか予言者かと思うにちがいない。
ツバメが低く飛ぶ、猫が顔を洗う、蚊柱が立つ。雨を予兆する言い伝えは数あれど、いまはスマホをのぞき、空を見上げれば事足りる。私たちはみな、雨の予知能力者だ。われわれはすでに、このマンガの彼女のように、雨を察する能力を獲得したのだ。