物もちはいい方です、@SHARP_JP です。なんでもかんでも最新を更新しようとする家電業界で働くくせに、私は年季の入ったモノが好きだ。自分のモノであれば、さほど意識せずに五年十年使うこともザラである。気に入った味があれば同じ銘柄を食べ続けるし、よほどのことがないかぎり買い換えることもない。人によっては汚いと顔をしかめるかもしれないけど、そして実際に顔をしかめられたこともあるけど、10年以上履き続けたジーンズだって何本か持っている。古着屋を巡って手に入れた貴重なモデルではない。ただお気に入りであり続けただけの、無自覚ビンテージジーンズだ。


だいたい私は積極的にモノを捨てるタイプでもないので、お気に入りは代謝せず、蓄積される。つまりモノは増え続け、好きな対象は代替わりせずに並行する。私が気に入るモノはそれぞれが長生きするから、自分の中で古いか新しいかの区別すらあいまいになってしまう。本棚はいつまでたっても時系列に整理されないし、常に空きスペースが足らない。ため息つきたくなる時もあるけど、自分の好きが交錯し、熟成しながら膨張すること自体は、嫌いではない。


嫌いではないことはもっとある。他人が年季の入ったモノを使っているのを見ることだ。いかにも仕事ができそうな人がおもむろに取り出すボコボコにへこんだ缶の筆箱。身なりがいい人の手首で異相を放つチープで古いデジタル時計。クールで美しい人がなぜかカバンにぶら下げるファンシーな小物。まさかな人がまさかなモノをまとうギャップはたいてい好印象に繋がるものだが、そのモノにその人なりの時間が投影された年季が見えると、私の好感はいやおうなくうなぎのぼりする。


私はたぶん、その人固有の愛着によって、モノがダサいとかダサくないの地点を超えた様を見るのが好きなのだ。私には私の固有の時間があるし、あなたにはあなたの固有の時間がある。そんな当たり前のことはいちいち口にすることはないし、とりわけ速さを求める仕事上のやりとりでは、お互い固有の時間を切り分けるのがマナーとさえ言える。だがそんな平面的なツルツルしたコミュニケーションを、古ぼけた、あるいは薄汚れたモノが突き破る瞬間がある。


モノの年季は骨董とか歴史の尺度を表すだけではない。持ち主の固有の時間を圧縮して現前させる、コミュニケーションのバグともなる。そして私はそういうバグを爽快に感じる。そのバグでようやくあなたのことを、奥行きをもって知ることができる。


大人になっても(赤松かおり 著) 


幼いころから一緒に過ごしたぬいぐるみなんて、あなたの奥行きの最たるモノだろう。このマンガでは、ぼろぼろになったぬいぐるみの年季を友だちから引かれてしまった経験が描かれるが、私ならは決して引かない。むしろ名刺の裏に、お気に入りのぬいぐるみの写真を印刷してほしいとさえ思っている。


われわれはできるだけ速く、できるだけ効率よく、仕事をこなさなければいけない。そんなことは私もわかっている。私もそうしようと思っている。でも速い仕事に疲弊しきる前に少しだけ、私はバグがほしいのだ。


名刺交換もそぞろにはじまる打ち合わせでも、接続した瞬間に本題へ入るZoomでも、私はあなた固有の時間を感じさせる痕跡がどこかにあってほしい。それがあればツルツル滑るコミュニケーションのハーケンとなって、もしかしたら上へ上へと登れるのではないか。そう思いながら私はいつも、仕事の視界にだれかの年季を探してしまう。


だからもしここに、年季の入りまくったモノを自嘲したり、長らくいっしょに暮らしたぬいぐるみを秘匿せねばと思う大人がいるなら、どうか安心してほしい。あなたの愛着は恥ずかしいものではない。それはあなたを雄弁に語るあなたなのだ。


そういう私も、脳内で会話する、古ぼけたぬいぐるみが、いまもそばにいる。