
おはようございます、@SHARP_JP です。ありがたいことに、眠れないということがない。どこでも難なく眠れるので、私の特技と言ってもいいかもしれない。もちろん眠らないということはある。いまは眠っている場合ではないと思えるほど楽しければ、その時間を捨ててまで睡眠を選ぶことはない。翌日のしんどさに目をつむり気がついたら朝なんて、生きるうちの幸福な時間の上位に入るだろう。
やらなくちゃいけないことがあって時間がないという時も眠らない。約束や締め切りが迫っているから、眠りたくても眠らないし、眠ることを許されない。ここの文章も、だいたいそうやって追い詰められて書かれる。翌日のしんどさを生贄にしてやる気とアイデアを待つのだが、うんうんうなる時間だけが過ぎ、気がつけば夜が明ける。朝は焦燥としてやってくる。
そういう事情がない夜は、たいていぐっすり眠れる。ありがたいことに、布団に入って悶々とした時間を過ごすとか、眠るのを諦めて布団から出るという夜がない。布団でもソファーでも床でも、目を閉じれば次は朝だ。朝は夜をショートカットしてやってくる。
寝そびれ侍(katokichi 著)
どこでも眠れる私は、寝そびれることがない。拙者、毎晩寝太郎だ。このマンガでとほほと述懐される、寝そびれるきっかけの数々を見ていると、お侍さんが気の毒になってくる。が同時に、私のあまりな大雑把さや鈍感さに不安を覚えるのもまた事実である。
たしかに入眠する時の、あの空間と時間は危険だ。なにか物思いにふけってしまう。幼い頃に死とか宇宙といったよくわからない概念に恐怖したのも、きまって布団に入って天井を見つめていた時だ。身体が暗い空間に放り出されたような不安から、思考は脳の中に逃げ込むのかもしれない。
たとえ横にだれかいようとも、結局人間は眠る時にひとりなのだろう。寝入り端は、孤独がつけいる時間なのだ。つけいられた孤独は飼い慣らすか、無視するしかない。ただし無視すれば、孤独は今日あった嫌なことや恥ずかしい過去の記憶に姿を変えて反撃してくる。だからぐっすり眠るには、孤独がつけいる時間を与えないのがコツなのではないか。
寝入るまでのひとりの時間をどうやって回避するか。それが眠れるか眠れないかの分け目なのだ。ならば私は寝落ちをおすすめする。本でもゲームでもツイッターでもなんでもいいけど、なにかをぎりぎりまで摂取しながら眠りに入ろう。寝落ちすれば、そこに孤独はつけいる隙がない。こちらの勝ちだ。だからみんな、スマホを握りしめて眠ればよいのだ。
一方の私は私で眠りにつくまでを、仕事や締め切りを抱えた人の真夜中の健闘を祈ろうと思う。あの時間もまた孤独だけど、どうかがんばってほしい。私はあなたがその先に生み出したものを、眠っている場合ではないと思える夜に享受したいのです。