
消費してますか、@SHARP_JPです。仕事柄、というと一人前に仕事をしているように聞こえますが、モノが売れる仕組みとか、モノを買う気持ちには、それなりに興味がある。日頃からマーケティングと名のつく部署にいながら、あまりマーケティングをしない仕事をしている私でも、なにかきっかけがあって、多くの人の心が動き、買ってみようと思った事例を見ると、どうしてそうなったのか、つい自分なりに考えてしまう。
とか言いつつ、モノが売れるきっかけなんて、たいていは偶然の産物だとも思う。言葉を換えれば、タイミングと運だ。売れる仕組みや仕掛けを作る仕事の人たち(私もだけど)は、あたかもそこに法則や公式があるように喧伝するけれど、実際のところは結果論を逆回転で話しているにすぎないことも多々ある。
だいたい消費者の側に立てば、自分たちのことを指差して「あいつらに買わせる法則がある」などと解説されていると知ったら、いい気がする人などいないはずだ。そこにかろうじて法則があるとすれば、モノを売る仕掛けがあるとは露ほども見せるべからず、だろうか。いずれにしろ、だれかになにかを買ってもらうには、偶然のタイミングを待つか、徹底して偶然を装うしかないのかもしれない。
とはいえ、世の中には「うまいこと考えるもんだな」と感心してしまうアイデアや工夫はある。毎年発表される、売れたモノ番付や広告賞などを見ると、やっぱり意図か偶然かを超えて、多くの人の心を動かし、結果として売れるという、理想の境地があることを知らされる。
そういう理想の境地として、ここ数年なにかにつけて私が「そうとうすごいことではないか」と思うのが「町中華」だ。町中華という言葉がある時、ない時。町中華という言葉が生まれるまで、自分の生活圏にある古くて小さな中華料理屋さんは、多くの人にとって小綺麗とは程遠い、それゆえ入るのに勇気がいる飲食店だったはずだ。
それがいまやどうだろう。町中華という言葉が偶然生まれたのか、意図して流通されたのか私には知る由もないけれど、その言葉のおかけで私の生活圏はぐんと彩りが増した。臆することなくお店に入って、天井に吊られたテレビを見ながらチャーハンを食べる昼下がり。私は町中華という言葉がもたらした消費に唸ってしまう。
あたしが漫画を描き始めた理由(福々ちえ 著)
もしかしたら、婚活もそうなのかもしれない。婚活という言葉が生まれる前、結婚に向けての行動は、人から勧められるという形で、もっと受動的なものだったのではないか。しかし婚活という言葉が生まれ、それが世の中に流通するにつれ、結婚は攻略するものになった。攻略するものだからこそ、結婚は自らが行動すべき対象に変貌する。婚活がマーケティング的な仕掛けを起源に持つ言葉なのかどうか知らないけど、いままで存在しなかったお金の使い道を作ったのは事実だろう。婚活は消費を生んだのだ。
一方、婚活が結婚を攻略するものに変えたからこそ、婚活は成功や失敗、あるいは比較や疲弊、それから自己嫌悪といった、特有のしんどさをもたらした。それはこのマンガに描かれているとおりだ。マンガでは、作者が他者ではなく自分と徹底的に向きあうことで、婚活のしんどさをくぐり抜ける。それは結婚を攻略対象として捉えることをやめるプロセスともいえるのではないか。
もちろん私には婚活の要不要も、結婚の是非も、それについて語る言葉を持たない。多様な意見や経験に触れれば触れるほど、正直よくわからなくなる。けれどひとつだけ、私にも結婚について「ほんとうにそうだな」と思ったことがあった。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という言葉に触れた時だ。何年か前に広告の賞を獲ったキャッチコピーである。これも偶然か意図かを飛び越えて、人の心を動かした言葉なのだろう。町中華のように、ネガティブをするりとポジティブに反転させる。
いつだって、うまい言葉を考える人はいるものだ。